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- 国内外のまちづくり
2017.10.10 | スタッフ
こんにちは、夏目です。昨日は体育の日(10月の第2月曜日)でしたね。近所の小学校や幼稚園では父兄参加型の運動会が行われることも多かったようです。島根県出雲市では出雲全日本大学選抜駅伝(出雲駅伝)が行われました。今年の優勝校は東海大学だそうです。大学生が奮闘している姿をテレビ越しに見ると、出身校でなくても応援したくなりますね。
駅伝中継を見ながら選手を応援していましたが、選手たちの背景には当たり前のように電柱が映り込んでいました。今日は、何故日本の日常にこんなにも電柱が溶け込んでいるのか、歴史を紐解いてご紹介します。
歴史的な違いは欧米諸国と比較するとよく分かります。ロンドンで無電柱化が話題になったのは、19世紀の産業革命の頃です。この時代は、それまでの中世都市の名残が大きく変化しました。都市内に工場が集まり、そこで働く勤労者が集中し、それまでの秩序が崩れ去ったのです。夜間の犯罪対策が深刻な問題となり、安全な街づくりのために夜間照明の普及が提言されました。その際、ガス灯を採用するのか、電灯を採用するのかが対立したのです。既にガスは地中化されており、地中化のコストを負担していました。しかし、電気は架空線のままであり、地中化を負担していませんでした。ガスだけ負担が重いのは不公平、電気も地中化すべきである、との世論が高まり、地中化の制度が確立されました。以来、一貫して電柱を立てるということはありませんでした。
アメリカのニューヨークでは、また違った歴史があります。ニューヨークでは19世紀前半に電気利用の発達が進みました。発明王エジソンが活躍したのもこの頃です。すると、電線が街中を覆うという事態が発生しました。当時の電線は裸線です。感電により多くの死者が発生するという社会問題にまで発展しました。そこで現状打破のために、19世紀末に地中化の方向にシフトチェンジしたのです。それ以降、電柱が建てられることはありませんでした。
対照的なのが日本です。我が国で架空線が登場し始めるのは、江戸時代から明治時代になります。近代化の流れと共に電気利用が発達したこと、当時は裸線であったことは、アメリカ・ニューヨークと同じです。ところが、第一次世界大戦後、わが国では被覆技術が進歩して裸線による感電事故が多発しなかったのです。第二次世界大戦の敗戦後、市街地の復旧が喫緊の課題となり、安定・廉価な電力の需要が高まりました。そして、架空線が疑問なく取り入れられ現代に至っているのです。日本の技術力が今日の電線だらけの街中に関係しているのは皮肉な話ですね。
我が国の技術力は世界トップクラスです。その技術力を今度は無電柱化の方で生かしていきましょう!
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